emi's room

Release Hallucination emiのあれとかこれとか

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20237/29

夏という特別

マイクプリの帰還

修理に出していたマイクプリアンプが戻ってきた。
コンデンサーマイクを認識しない、または認識してもノイズ酷いという状況で、最初に問い合わせたのは4月下旬。修理完了まで丸々3ヶ月の長旅だった。時間がかかった主な理由は修理パーツの出荷が未定だったこと。5月頭に発注してようやく入ってきたのが2.3日前だ。主な原因は基盤の動作不良だそうで、基盤交換になったため予想の倍以上かかる出費となった。購入価格の半分弱はなかなかの痛手だが、血の涙を流しながら修理をお願いした。ないと困るもんね。頑張って歌って取り戻すしかあるまい。

故障は突然やってくる。それを見越して貯蓄しているけれど、一番お金が掛からなそうなボーカリストですら、それなりの出費があるのだ。楽器の方々はもっと大変なのではないかと思う。まぁ人間という楽器も結構メンテ代かかるなぁと思うけど。機材も人間も健康第一ですね。

ポケモンスリープ

健康といえば、待望のポケモンスリープを始めました。
初日、2日目と2.5hを2回の平均5時間睡眠という、とんでもない生活を送っていたら、みるみるポケモン達の目が死んでいった。(常にこのような生活をしているわけではなく、制作期間中は時折こうなりがちというだけ。念のため。)ポケモンを通して自分を客観視した私は、こりゃ不味いと生活を改めて、今ではしっかり8.5時間眠っている。カビゴンのご飯も人間のご飯も欠かさない。元気いっぱいだ。(嘘だ、人間は少し夏バテ気味だ。)
既にネット上では囁かれているけれど、睡眠時間というブルーオーシャンに目をつけたのは凄いことだと思う。実際私のような単純なタイプの人間は、ポケモン達のために積極的にすやすや眠り、せっせとカビゴンと人間に食事を与えているわけだから素晴らしい。睡眠アプリ自体は数多あれど、こういったゲーム性を追加するたけで、これだけ単なる睡眠を楽しめるのだから大したものだと思う。(私の才能もある。)
先述の通り人間は歳を重ねるほどメンテ費用がかかるので、自分を上手く手のひらで転がしながら健康を維持するスキルは大切だ。私はピクミンでウォーキング、ポケモンスリープで睡眠、VRボクシングで減量、あすけんで食生活と…、結構ゲームに頼って己をコロコロ転がし放題転がしているのだけど、仕事もこれくらゲーム感覚できたら嬉しいと思っている。Habiticaとか入れようかな。

クールネックリング

最近クールネックリングを買いました。
まだ使用1日だけど。使用感や持続時間等は概ね評判通り。購入したのはCICIBELLAの製品だけれど、28℃で固まる仕様であればメーカーや外見に元々拘りはなく、薬局で千円程。というか色々調べたものの、その製品も然程違いはない印象だった。使用してみたところ、こちらの製品はMサイズでも大分ゆとりがある。女性平均に比べて首はやや太めであろう私でも多少緩い。気持ち軽めのヘッドホンを首にかけている位の感覚で肩はこらない。締め付けがきつすぎても苦しいという話だけれど、もう少しフィットする作りの物を選んでも良かったか。そう思いきや、理由は後述するけれど程よかった。

冷却効果については、ほのかに首筋が涼しいと感じる程度。正直、灼熱の正午に屋外で使い物になるかといわれれば、焼け石に水だろうというのが感想だった。しかし意外だったのは屋内使用、もしくは涼しい時間帯の屋外であれば、それなりに涼しさを体感できるということだった。

28℃のエアコンがついた屋内であれば冷たさは2,3時間持続する。冷凍庫から出した直後はタオルで包んだ保冷剤程度には冷たい。数分と経たずマイルドな冷たさに変わっていくが、冷たい手のひらを当てているような心地よさがある。クールネックリングは丸い形状で、肌との接地面積が少ない。表層が溶けると冷たさを感じにくくなるように思う。軽く押して中身を混ぜると案外冷たさが復活する。

個人的発見としては【入眠時につけるのが最☆高】という点で、丁度入眠から深い眠り入る時間を心地よく過ごせる。枕によって首筋とネックリングが軽く圧着されて、起床時の首掛けより冷たさを感じやすいのだと思う。これは多少ゆとりがあるネックリングでないと苦しくて就寝時には使えないと思われる。なんならこういう使い方をする商品としてベストまであった。結果的には買ってよかったと思う。屋外は…なんていうか、今年の気温は狂気だから諦めよう。極力概出を控える、それが一番。

読書体験と感想文と

この夏も読書に積極的だ。
毎年夏になると不思議と沢山の本を読む。幼少期の”読書感想文”の宿題の名残だと思う。私の小学校にも課題図書という概念はあったけれど、コンクールには出せないというだけで、課題図書以外の本で感想文を書くことも許されていた。「どの本でいい感想が書けるか、読んでみないとわからないので。」そんな大義名分で、夏はどれだけ本を買っても許された。いや、実際はいつどれだけ買おうと、常軌を逸しなければ咎められることなどなかったと思う。多分今も昔も「休みを満喫した感を出したい。」の一環で、単に自分的読書週間が年1で訪れているだけなのかも。自分でもよくわからないが、夏はとにかく沢山本を読むのだ。(そして年始は何故か映画をいっぱい観るのだ。何故だ。)

某SNSでは夏になると定番のように、読書感想文という宿題の是非が問われている。
私は読書感想文がとても好きな学生だった。ただ、それは小学3年生からの話で、より低学年の頃は面倒で仕方なかった。なんなら親に一部手伝ってもらってすらいたと思う。
突然の変化が訪れた小学3年生の夏、普段は漫画だけ読んでは放置していた進○ゼミ教材を、珍しくしっかり読んだことがある。夏休みの宿題をカバーする内容の特集が組まれていて、その中に読書感想文の書き方があった。(最近もSNSで穴埋めのようになっている読書感想文のテンプレが話題になっていたが、流石にそこまで露骨ではなかった。)
「思ったことを書けばいいのよ」学校で説明されがちな、そういった抽象的な言葉ではなくて、”自分が主人公の立場だったらどうか想像する”とか、”印象的に残った場面はどこか”とか、”では、なぜそう感じたか”とか。感想を書くにあたり、フォーカスすべき点をきちんと教えてくれる教材で、当時の私は目から鱗だった。まぁ鱗出してないで教材費を無駄にせずにもっと頑張っておけばよかったのに、そう思わなくもないが、今更それを言ったところで後の祭りなのである。でも子供なんてそんなもんじゃない?

その年の感想文は、まさに「進○ゼミでやったやつだ!」じゃないけど、内容に困ることもなくスラスラと書くことができ、学校でもとても高く評価して貰えた。それまで私が賞を貰える科目は図工くらいなものだったので、少しだけ自信がついた。先生は選んだ本が推薦図書でなかったことを、とても残念がっていた。コンクールに出したかったと。とても褒めて貰って嬉しかったけれど、その点にはそこまで興味はなかった。校内で優秀作品として掲示されたし、小さなコンクールの表彰状も貰った。それだけで十分だった。それに面白い感想文は面白いと思える本からしか生まれないだろうから、推薦図書で書いて良い感想文が書けるかはわからないのにな。漠然と小3にしてそんなことを考えていた、今でも変わらずそう思う。

読書感想文という宿題は必要だと思う。不要なのは課題図書の縛りである。個人的には図書という縛りすら案外必要ないのではないかと思っている。賞レース的な意味ではある程度の枠組みは必要だと思うけれど、文章表現と表彰で自信をつける事は別枠かなとも思うし。なんにしろ、文章で自己表現する面白さを伝えてくれる教材が、もっと身近に沢山あればいいと思う。

余談だけれどその後もありがたいことに、卒業までの間で数回表彰してもらった。(自慢か?って思われてもあれだから、自慢です!って書いておく。)特に拘らなかったけど、たまたま気になった本が課題図書だったからという理由で、課題図書で感想を書いた年もあったように思う。そういう意味では「ハイ、自由にどうぞ!」って言われても困っちゃう子もいるだろうから、おすすめの本は別にあってもいいと思う。

なんだかんだ、大人になってからも感想文を書いている。映画を見れば感想を言語化してFilmarksに投稿するし、最近は読書頻度が増えたのでブクログも始めた。その時の感情を掴み損ねた流し素麺みたいに見送らないで、受け止めた感情や想いを文章という形で表現することで、自分の中で名前をつける。個人的にはそういう行為に意味があると思っている。歌詞にはもっと違う自己表現の苦しみがあり、それが創作と感想の違いだとも思うし、歌詞と本の違いだとも思う。でも表現であるという点は一緒。自分の生み出したものに納得出来ない時間は長く、苦しい作業だけれど、嫌いかと問われれば嫌いではない。そう答えられるのは、やっぱり幼少期に文章表現の楽しみを知ることができたからではなかろうか。まぁ夏になる度に思い出すので、会う度に同じ話を語り聞かせてくるおじいちゃんみたいに、似たような話を毎年してるかもしれないんだけどね。今年もするよ。多分来年もする。

直近で読んだ本『母という呪縛 娘という牢獄』、とても貴重な読書体験を得られました。事件自体が記憶に新しい方もいらっしゃるのではないかなと思うけれど。実話です。なかなか重い話ですが、殺害にまで至ったという事実、報道された内容が”結果”だとしたら、この本に綴られている”過程”も是非知ってほしい。

話は少し戻って作詞。作詞は基本的にフラストレーションは溜まっていく。欲求が阻害されまくる。メロ、音、リズム、内容、世界観、温度感。色々なものに縛られる文章表現。かといって、真っ白で何の縛りもない世界で文章表現をすることに、実はそこまでの魅力を感じていない。今のところ。あらゆる禁則に雁字搦めになりながら生み出す、ドMな文章表現が作詞であると思う。勿論そうじゃない方もいるので私は、だけど。悶々鬱々としながら机に向かう日々は正直楽しいものではないけれど、結構エキサイティングだとは思う。それにメロに乗った時、歌う時、作品が完成した時はやっぱり嬉しいし。

そういう意味ではBlogとはとても自由な散文で、気にすることなんて「これ読んで、果たして面白いかな」くらいのことなのだけれど。でも創作中はいつも以上に、関係あることも無いこともグルグルと考える。こういう場に書くのもたまには良いかと今日も自分を納得させている。


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